
見どころ
あっ!ゴーギャン。
展覧会は4つの章から構成されます。ゴーギャンと仲間たちの歩みに沿って、『第1章 1886年:ゴーギャンの最初の滞在』『第2章 総合主義の創出』『第3章 ル・プールデュでの滞在とグループの拡大』『第4章 ブルターニュでの最後の滞在、そして最後の仲間たち』 の各章をたどるうちに、絵画は外界の光を写すことから、人の内面世界の表現へと舵を切って行きます。ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち - フランス・ブルターニュの光 - 美術史が教える、「印象主義」から「総合主義」や「象徴主義」「ナビ派」へ、といった大きな転換の流れに立ち合うとともに、ゴーギャンと仲間の画家たちそれぞれの個性や才能の輝きに出会うことが、本展の見どころといえます。風光明媚で知られるフランス・ブルターニュ地方を、絵画でめぐる旅として楽しむこともまた、その魅力のひとつでしょう。
「総合主義」と「クロワゾニスム」
ゴーギャンは、志を同じくするエミール・ベルナールと共に「総合主義」と言われる絵画思想を創出しました。「総合主義」とは、印象主義的な解体的・分析的傾向への反動という意味合いもあり、現実と想像、主観と客観、感覚と美学的思想などの総合よって絵画のあるべき姿を創出しようとするものでした。そしてその「総合主義」は「クロワゾニスム」という絵画技法を通して絵画化されました。「クロワゾニスム(区分主義)」とは、モチーフを単純化してとらえ、質感や固有色を取り除いた平坦な単色の色面を、黒く太い輪郭線で囲んで描く絵画技法で、この技法により、絵画は二次元性と装飾性と表現力を獲得しました。またこの技法の開発には、日本の浮世絵版画、中世のステンドグラス、フランスの民衆版画であるエピナル版画などの影響が指摘されています。 作品紹介
【出品リスト】
主な出品作品 ポール・ゴーギャン《2人のブルターニュ女性のいる風景》
1888年 ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館 Ny Carlsberg Glyptotek,Copenhagen 1888年は、ゴーギャンにとって重要な年でした。この年に書かれた手紙の中には、「あまり自然に即して描いてはいけない。芸術とは、ひとつの抽象である。」と記しています。自然を見たまま写し取るのではなく、そこから感じたものを自分の頭の中でイメージし、創造することが重要だと説いたのです。筆触こそまだ印象派風ですが、扁平な形態、左隅に不自然に描かれている二人のブルターニュの女性やVの字に曲げられた道路など、新たな絵画のスタイルが予告されています。 ポール・ゴーギャン《2人の子供》
1889年頃 ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館 Ny Carlsberg Glyptotek,Copenhagen 現実の空間の奥行きとはかけ離れた黄色とピンク、そして青の大きな色面の対比などの絵画様式からすれば、制作年は1888年以降と推定されます。大きな人形のような感じさえする右側の赤ん坊と、やや意地悪な顔をしている左側の子供は、姉妹なのでしょうか? ポン=タヴァン派の画家でゴーギャンと親しかったシュフネッケルの子供とする説もありますが、定かではありません。いずれにせよ輪郭線と単純化された平らな色面によって、絵画空間を統合する「総合主義」の特徴がよく表れています。 ポール・ゴーギャン《玉ねぎと日本の版画のある静物》
特別出品1889年 ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館 Ny Carlsberg Glyptotek,Copenhagen ゴーギャンに影響を与えた二つの側面を見て取ることが出来ます。一つはセザンヌの影響です。ゴーギャンもまたセザンヌの油彩画を複数所有しており、模写も行っていました。この作品もセザンヌの静物画と見間違うくらいです。もう一つは、日本の浮世絵版画の影響です。浮世絵の影響を強く受けた画家は、ゴッホとゴーギャンでしょう。ゴッホは日本の文化など精神的な面を学ぼうとしたのに対し、ゴーギャンは構図や作画技法など技術面を学ぼうとしました。この作品でも画面右奥に浮世絵版画が描きこまれています。 ポール・ゴーギャン《アリスカンの並木路、アルル》
1888年 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 1888年は、ゴーギャンとゴッホが短い共同生活を送った年でもあります。本作はアルルでの共同生活の初めに描かれた大変興味深い作品です。描かれているのは、アルルの名所の一つにもなっている場所です。ローマ時代の石棺が並ぶ並木路の風景は、同時期にゴッホも描いています。ゴッホとの共同生活もわずか2か月で破綻し、さらにはよき仲間であったエミール・ベルナールとも喧嘩別れをすることになります。失意の中、ゴーギャンは、新天地を求めてタヒチに向かいました。 ポール・ゴーギャン《タヒチの風景》
1893年頃 ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館 Ny Carlsberg Glyptotek,Copenhagen 西洋文明に絶望したゴーギャンが、原始に憧れて南太平洋のタヒチに渡ったのは、1891年4月のことでした。平坦で濃厚な色彩を用いて、熱帯の原始的・神秘的な風景を描いています。画面手前の草を食べる動物が、空間の広大さを強調しています。画面右上にはヤシの木が、まるで風車のように描かれていて、暖かな風を私たちに感じさせてくれます。その後、ゴーギャンはタヒチを再訪します。最後にはタヒチからさらに深い原始を求めて、マルキーズ諸島のドミニック島に渡りますが、1903年、心臓発作を患い、その地で亡くなりました。 ポール・セリュジエ《呪文或いは物語 聖なる森》
1891年 カンぺール美術館 Musée des Beaux-Arts de Quimper ナビ派の創始者の一人、ポール・セリュジエの作品です。セリュジエは1888年、既存の絵画表現に限界を感じ、新たな絵画表現を求めてポン=タヴァンを訪れます。そこでゴーギャンとベルナール、さらには彼らが提唱する「総合主義」の概念と出会い深く感銘を受け、翌年に前衛的なナビ派を結成するに至ります。本作は、ブルターニュ地方のユエルゴアの森で崇拝の儀式を行う女性を描いたものです。手ぶりやその姿勢、聖火の点いている動物をかたどった岩など謎めいたものになっています。木々の枝は意識的にカットして描かれ、画面にリズムを与えています。 モーリス・ドニ《小舟のブルターニュの女性》
1891-92年 カンぺール美術館 Musée des Beaux-Arts de Quimper ドニはナビ派の代表的な画家として知られています。ナビとはヘブライ語で「預言者」の意味で、新しい美術を預言しようとする若者たちの強い意気込みが感じられます。ゴーギャンから大きな影響を受けたドニは、「絵画は一定の秩序のもとに配置された色彩に覆われた、平らな面である。」と主張。ナビ派の本質を明確に表現したのです。敬虔なカトリック教徒であるドニは、聖書や神話をテーマとした作品を残していますが、この作品に見られる家族をテーマにした作品も数多く制作しています。 略歴
ポール・ゴーギャン略年表
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