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開催要項

マン・レイ展「私は謎だ。」

 

1 展覧会タイトル

マン・レイ展「私は謎だ。」

 

2 主催

福井県立美術館

 

3 後援

フランス大使館、福井新聞社

 

4 協力

全日空

 

5 企画協力

株式会社アートプランニングレイ

 

6 会期

2004611日(金)〜711日(日)

休館日:621日(月)、75日(月)

開館時間:午前9時〜午後5時まで(入館は午後430分まで)

夜間開館:毎週金曜日は午後8時まで開館(入館は午後730分まで)

 

7 入館料

一般 900 ・大高生 600 ・中小生 300円 (30名以上の団体は2割引)

 

8 展示内容

作品:約280

映画:4

関連資料:約30

 

9 関連事業

講演会

「マン・レイの謎を愉しむ」

講師:巖谷國士(いわや・くにお/本展監修者・明治学院大学教授)

613日(日) 午後2時〜 (聴講無料)

 

学芸員によるギャラリー・トーク

毎週日曜日(※613日を除く) 午後2時〜3

(展覧会チケットが必要です)

 

同時開催

所蔵品によるテーマ展「モノクロームの世界」

(本展チケットにてご覧いただけます。)

 

10 次回企画展

北斎展(仮称) 108日(金)〜117日(日)

 

11 お問い合わせ

福井県立美術館

910-0017 福井市文京3-16-1

TEL0776-25-0452

FAX0776-25-0459

HPhttp://info.pref.fukui.jp/bunka/bijutukan/bunka1.html

 

12 主旨

 マン・レイ(18901976)は、20世紀を通じて、ダダイスムやシュルレアリスム運動、また、絵画から、オブジェ、写真、ファッション写真、映画まで、驚くほど幅広い美術運動やメディアで活躍したアーティストです。近年その自由で多彩な活動は、今日の美術の先駆けとして、驚きをもって見つめ直されています。本展では、本人の言葉「私は謎だ。」をキーワードに、300点を超える作品・資料をとおして、マン・レイの魅力あふれる全体像に迫ります。Man Ray=人間・光線)と名のる変幻自在の芸術家を、21世紀芸術へのまさに光源として紹介します。

「私は謎だ。」I am an enigma.

 マン・レイ、あなたはいったい誰?----1960年ごろ、姪のフローレンスがこの偉大な伯父に問いかけたとき、すでに老境に達しつつあったマン・レイはこう答えたという。

 「私は謎だ。」

 若いころに名前を変えて過去を捨て、いつまでも故郷に帰ろうとしなかった彼は、家族の前だからこそこんなことを言ったのかもしれない。だが、これはじつに意味ぶかい言葉である。私たちもまた、Man Ray=人間・光線)と名のる変幻自在の芸術家の作品の数々を見て、しばしば入りくんだ「謎」の魅力を感じるからである。

 生まれ育ったアメリカに背を向けてフランスへ渡り、いったんは帰国したものの、また旅立ってパリでの生活をまっとうしたマン・レイ。写真家として最高の名声を得ていながらも、「写真は芸術ではない」と言いはなち、ひそかに絵やデッサンを描きつづけていたマン・レイ。

 伝統を否定するダダ運動を推進しながらも、過去の芸術への敬愛を隠さず、文学的な発想を捨てようとしなかったマン・レイ。それでも一点ものの油彩に固執する一方で、おなじ主題を何度でも反覆し、自分の作品の「変奏」や「再制作」や複製づくりにいそしんでいたマン・レイ。

 カメラという機械の目で対象を客観的にとらえ、技術よりも偶然とアイディアを重んじていながらも、同時にたえず自分自身を問いつづけ、すべての作品に自伝的な要素を忍びこまさずにはいられなかったマン・レイ。だがけっして一定の「様式」をもとうとはしなかったマン・レイ。

 「私は矛盾そのものでありたいし、非合理的でありたい。」

 このように語るマン・レイは、そうしたさまざまな矛盾をかかえていたからこそ、積極的にまた情熱的に生きることができた。愛や苦悩もあれば遊びもある、親密で詩的で機知に富んだ彼の作品は、まさにその多様性、反覆性、非合理性、等々によって、今日の芸術と文化に測り知れない影響をおよぼしている。

 実際、マン・レイの生涯と作品のかもしだす眩惑的な「謎」のうちに、20世紀という怪しい時代そのものがのぞき見える。いまやマン・レイは私たちの目に、彼の生前以上に身近な人間(=Man)として----また軽くて深くてクールで暖かく、驚くほど活力にみちた複雑な心をもつ現代の巨匠として映っている。

(巖谷國士 いわや・くにお/本展監修者)

 この展覧会は、大多数の人々に向けたものではありません。それどころか、少数の人々----あるひとりの個人の思いを受けいれてくれるだけ寛大な、ごくわずかな人々----に向けたものですらないのです。

この展覧会は、ひとりの個人へ、ただひとりの他の個人に----つまり、いまここにいるあなたに向けてひらかれています。

 私は数という観点から物を考えたり感じたりすることができません。もうひとりの個人という以上のものと協調しあうことは、私には不可能です。

 あとはおたがいの信頼関係、これさえあればいいのです。

 (マン・レイ 1972年) 

*これは1972年、パリの国立近代美術館で催された最初の回顧展の折に、書かれた言葉。

 

【参考資料】

マン・レイ(Man Ray 1890-1976

米国フィラデルフィア生まれ。写真、映画、絵画、版画、彫刻、オブジェなど、ジャンルをこえる自由な精神による多彩な活動で知られる。ニューヨークでデュシャンやピカビアらに出会いダダ運動に参加。1921年パリに渡りシュルレアリスムの作家たちと親交を結ぶ。芸術家の肖像写真やモード写真を発表する一方で、ソラリゼーションを生かした写真作品や印画紙の上にものを置いて感光させるレイヨグラフなどさまざまな実験的な写真作品も発表した。芸術写真のパイオニアとして広く知られ、また攻撃性のなかにユーモアを秘めたオブジェの制作者として著名であるなど、多くの面で現代美術に貢献した。 パリにて死去。

「マン・レイ、男性名詞。<喜び・遊び・愉しむ>の同義」 マルセル・デュシャン